二種類の海岸
海沿いのブドウ畑がみな同じ海に面しているわけではありません。大陸の西側では、亜熱帯の大洋の大きな海流が赤道に向かって流れており、その水は冷たい流れです。フンボルト、カリフォルニア、ベンゲラ、カナリアの各海流系がこれにあたります。一方、暖かい水を極に向けて運ぶ海流もあり、西オーストラリア沖のリーウィン海流や、北西ヨーロッパへ向かう北大西洋海流がその例です。
この記事がたどる因果の鎖は、どの海岸でも同じです。海の温度が空気の温度を変え、空気の温度が雲や霧とあわせて、ブドウが受ける熱の量と成熟期の進み方を変えます。違うのは向きだけで、冷たい水は夏の空気を冷やして霧を呼び、暖かい水は主に冬をやわらげます。
各記述は、ページ末の出典に結びついています。畑の気温のように一次資料で確認できなかった数値は、書かずにそう明記します。
湧昇:西岸の海はなぜ冷たいか
NOAAは、大洋の東の縁(大陸の西岸)の湧昇を次のように説明しています。海岸に沿って赤道に向かう風と地球の自転によって、表層の水が風向きからおよそ90度ずれて岸から離れる向きに運ばれます(エクマン輸送)。すると表層の水は、下からの冷たく栄養に富む水に入れ替わります。
NOAA漁業局は、カリフォルニア海流の北部について数値を挙げています。風は上層15mの水を沖へ動かし、そのあとを、陸棚の縁の水深100〜125mから上がる約8℃の冷たい水が埋めます。この海域では、4月から9月に吹く強い北風が、オレゴン州とワシントン州の沿岸で湧昇を起こします。カリフォルニア海流そのものは、ブリティッシュ・コロンビアからバハ・カリフォルニアへ南下する冷たい流れで、湧昇がその主な物理的原動力です。
チリとペルーの沖のフンボルト海流系も同じしくみです。Thielらは、南緯約42度から北へ広がる系とし、亜南極の表層水が北へ流れることと、冷たい亜表層水の強い湧昇を述べています。チリ北部沖では湧昇がほぼ一年を通じて続き、チリ中南部沖では春と夏により季節的です。
冷たい水から霧と海風へ
冷たい水は、その上の空気を下から冷やします。NOAAによれば、すると気温は高さとともに上がり(逆転層)、その下の冷たく湿った空気がマリン・レイヤーです。空気が露点以下まで冷やされると、霧や低い雲ができます。国立気象局はこれを移流霧と呼び、湿った空気が冷たい水などの冷たい面の上を動くときに生じるとします。静かで晴れた夜の放射霧と違い、雲があっても、中程度から強い風があっても発生します。NOAAは、西岸ではマリン・レイヤーが数日から数週間続くことがあると述べています。
海風は、その冷たい空気を内陸へ運びます。日射は土の表面だけを温めますが、水の中には深くまで届くため、陸は海より速く温まります。陸の上の暖かい空気は密度が下がって弱い低気圧をつくり、その下へ、冷たく密度の高い海の空気が流れ込みます(NOAA JetStream)。NOAAはまた、冷やされた海の空気が海岸の山を越えて内陸の谷へあふれ出すことがあるとしています。海風は陸の加熱で動くため、冷却は陸がいちばん暑くなる午後に届きます。
図は、左に湧昇、右にマリン・レイヤーと海風を、一枚の断面にまとめたものです。注記で引いたNOAAの数値を除き、高さ・距離・温度は縮尺どおりではありません。
出典のあるデータから描いた図
西岸の断面図です。左:海岸に沿う風が表層の水を沖へ動かし、冷たい深層水が上がります。右:冷やされた空気が逆転層の下でマリン・レイヤーをつくり、海風がそれをブドウ畑の上へ内陸へ運びます。北半球の海岸を北向きに見た図なので、点のある輪は手前へ吹く風を示します。形と距離は説明のためのものです。
- 海岸に沿う風 — 赤道に向かって吹く。点のある輪は、手前へ吹く風
- マリン・レイヤーと霧 — 下から冷やされた空気が逆転層の下にたまり、露点以下で霧になる
- 海風 — 陸は水より速く温まるため、冷たく重い海の空気が暖かい空気の下へ流れ込む
- ブドウ畑の斜面 — 冷却は午後に届く。どこまで届くかは場所による
- 表層の水が沖へ — 上層15m。風向きからおよそ90度ずれて動く
- 冷たい水が上がる — 水深100〜125mから約8℃(北部カリフォルニア海流)
フンボルトとカリフォルニア:チリとソノマ・コースト
チリ。ブドウ畑と太平洋のあいだには海岸山脈があります。Wines of Chileは、コルチャグア・ヴァレーでは海岸の丘が低いため、太平洋からの風がアンデスの風と交わって谷を冷やし、成熟期間を延ばすと述べています。フンボルト海流とチリの海岸山脈の記事は、冷たい海からマリン・レイヤー、谷までの連なりをたどっています。この記事は、カサブランカ、レイダ、サン・アントニオの気温の数値を挙げません。業界メディアで繰り返される数値は、一次資料で確認できなかったためです。
カリフォルニア。冷たいカリフォルニア海流と、NOAAが主な原動力とする湧昇が、NOAAの述べるカリフォルニア沿岸のマリン・レイヤーのもとです。2022年にアルコール・タバコ税貿易局(TTB)が設定したウェスト・ソノマ・コースト AVA は、ソノマ・コースト AVA とノース・コースト AVA の内側にあり、この海に面する沿岸の呼称の一つです。霧が各呼称の内側へどこまで届くかは申請書の本文に書かれていますが、今回は開けなかったため、霧の線・積算温度・距離の数値は挙げません。サンタ・バーバラ郡の呼称も同じ理由で省きます。同じ霧がナパ・ヴァレーへ届くしくみは、ナパの谷底と山の記事で扱っています。
ベンゲラとカナリア:南アフリカとポルトガル
南アフリカ。ベンゲラ海流条約は、アンゴラ、ナミビア、南アフリカが共有するベンゲラ系を、四つの主要な東縁湧昇系の一つとし、北は暖かいアンゴラ海流、南はアガラス海流に接すると説明しています。FAOは、南部アフリカの南岸と西岸沖で、風によって起こる冷たい季節的な湧昇を述べています。SAWISが2023年10月に公表したワイン・オブ・オリジンの一覧では、エルギンとウォーカー・ベイはケープ・サウス・コースト地域の地区、スワートランドはコースタル地域の地区です。Wines of Elginは、冷たい大西洋からの夏の南東の海風とそれがもたらす雲をエルギンの気候の一因に挙げつつ、谷の標高約250〜500mにも触れています。海流は複数の要因の一つで、エルギンの記事はそれらを分けて扱っています。ウォーカー・ベイとスワートランドの冷却の数値は、出回っている数字を確認できなかったため挙げません。
ポルトガルとスペイン北西部。カナリア/イベリア湧昇系の総説は、ポルトガルとスペイン北西部をその北端に位置づけています。海岸に沿って、おおむね4月から9月に吹く北風が、岸から離れるエクマン輸送と湧昇を起こし、その強さは北大西洋振動によって年ごとに変わります。ヴィーニョ・ヴェルデ委員会(CVRVV)は、1908年に区画が定められ、大西洋岸から円形劇場のように立ち上がる産地で、東西に走る川の谷が海の風を奥まで通すと説明し、穏やかな気温、多い雨、花こう岩質の土壌、九つのサブリージョンを挙げています。委員会が述べているのは大西洋の影響で、それを湧昇のせいにはしていません。この記事も、使った資料がその結びつきを測っていないため、同じ立場をとります。
出典のあるデータから描いた図
引用した出典が各海流について述べていることと、ここで結びつけた海岸です。表は海を説明するもので、ワインの優劣をつけるものではありません。
| 流れる場所 | 出典の説明 | 挙げたワイン海岸 | |
|---|---|---|---|
| フンボルト(チリ) | 南緯約42度から北へ | 北部ではほぼ通年の湧昇、チリ中南部では春〜夏 | チリ中部(コルチャグア) |
| カリフォルニア | ブリティッシュ・コロンビアからバハ・カリフォルニアへ南下する冷たい流れ | 風による湧昇:水深100〜125mから約8℃の水が上がる | ソノマ・コースト |
| ベンゲラ | アンゴラ・ナミビア・南アフリカ沖、二つの暖流のあいだ | 南岸と西岸沖で、風による冷たい季節的な湧昇 | エルギン、ウォーカー・ベイ、スワートランド |
| カナリア/イベリア | 北端:ポルトガルとスペイン北西部 | おおむね4月〜9月の北風が湧昇を起こす | ヴィーニョ・ヴェルデ |
| リーウィン | 西オーストラリア沖を極へ向かう暖かい流れ、おもに秋冬 | 冬が穏やか。年約1,000mmの雨の約80%が冬に降る | マーガレット・リバー |
| 北大西洋 | 偏西風とともに北西ヨーロッパへ運ばれる暖かい水 | 穏やかな冬と、小さい年較差 | ミュスカデ(ロワール河口) |
出典
- Thiel ほか(2007)— チリ北部・中部のフンボルト海流系、Oceanography and Marine Biology: An Annual Review 45
- Wines of Chile — ワイン産地
- NOAA 漁業局 — 北部カリフォルニア海流調査域の海洋学
- 連邦官報(TTB)— ウェスト・ソノマ・コースト AVA の設定
- ベンゲラ海流条約 — ベンゲラ海流大海洋生態系
- FAO 水産 — 環境(ベンゲラ)
- SAWIS — ワイン・オブ・オリジン制度で定める生産地域(2023年10月)
- カナリア/イベリア海流の湧昇系(総説論文、ResearchGate の記録)
- CVRVV(ヴィーニョ・ヴェルデ地域ブドウ栽培委員会)— 産地:歴史
- Waite ほか(2007)— リーウィン海流とその渦:入門的概説、Deep-Sea Research Part II 54
- マーガレット・リバー・ワイン協会 — マーガレット・リバーの気候と土壌
- NOAA NESDIS — メキシコ湾流とは
- Seager ほか(2002)— 湾流がヨーロッパの温暖な冬の原因か、Quarterly Journal of the Royal Meteorological Society 128
- INAO — AOC「ミュスカデ」の仕様書
暖流:マーガレット・リバーと北西ヨーロッパ
マーガレット・リバー。Waiteらは、リーウィン海流を、極に向かって流れる異例の東縁海流と説明します。暖かく塩分の低い水が、西オーストラリアに沿って南へ、リーウィン岬を回って大オーストラリア湾へ向かって東へ流れ、おもに秋と冬に、卓越風に逆らって流れます。CSIROは、太平洋の貿易風が暖かい水を西太平洋に寄せ集め、その結果できる海面の高さの差が、水をインドネシアの海峡から西オーストラリア沿岸へ南下させると説明しています。マーガレット・リバー・ワイン協会は、年間降水量およそ1,000mmの約80%が冬に降る海洋性の地中海性気候と、気候をやわらげ、蒸発を通じて冬の雨に寄与するリーウィン海流を述べています。協会は、この海流が夏に冷やす効果も挙げていますが、海流はおもに秋と冬に流れるため、この記事はその効果を冬の穏やかさと読み、夏の冷却は海流のおかげとしません。
北大西洋。NOAAは、メキシコ湾流が熱帯の暖かい水を北西ヨーロッパへ運ぶと述べています。ただしSeagerら(2002)は、湾流がヨーロッパの温暖な冬の原因かを問い、答えは俗説ほど単純ではないとしました。海に蓄えられた熱を運ぶ偏西風が欠かせない要素だからです。そのためこの記事は、湾流だけでなく、暖かい北大西洋と偏西風について述べます。INAOのミュスカデの仕様書は、近くの海、ロワール河口、グランリュー湖のため年較差の小さい海洋性気候を述べています。ボルドーとガリシアも同じ海に面しますが、気候の数値は確認できなかったため挙げません。
演習1:風から霧、そしてブドウへ
【設問】
寒流は、夏の午後に数km内陸のブドウ畑の気温をどのように下げうるか、説明しなさい。
【模範解答】
海岸に沿って赤道へ向かう風と地球の自転が、表層の水を風向きからおよそ90度の向きに沖へ動かし、冷たい深層水がそのあとへ上がる。北部カリフォルニア海流では、NOAAが水深100〜125mから上がる約8℃の水を挙げている。下から冷やされた空気は逆転層をつくり、その下に冷たく湿ったマリン・レイヤーができ、露点以下まで冷えれば移流霧が生じる。午後には陸が海より速く温まって弱い低気圧ができ、密度の高い海の空気が海風として谷や低い丘を通って内陸へ流れ込み、ブドウに冷たい空気が届く。
【採点基準(6点)】
・海岸沿いの風と地球の自転を、沖向きの輸送と冷たい水の上昇に結びつけている(2点)
・冷やされた空気、逆転層、マリン・レイヤー、移流霧を説明している(2点)
・海風を陸の加熱の結果として説明し、午後に海の空気を内陸へ運ぶことを述べている(2点)
演習2:暖流・寒流の宣伝文を読む
【設問】
あるパンフレットは「メキシコ湾流が私たちの畑を温める」、別のパンフレットは「リーウィン海流が夏を涼しくする」と述べている。この記事の出典を使って、それぞれの主張をどう評価すべきか答えなさい。
【模範解答】
湾流の主張は不完全である。Seagerら(2002)は、答えが俗説ほど単純ではないとし、海に蓄えられた熱を運ぶ偏西風が欠かせないと述べた。慎重な書き方は、ミュスカデの仕様書のように、暖かい北大西洋と偏西風、そして年較差の小さい穏やかな冬に言及する。リーウィン海流は、おもに秋と冬に流れる暖かい極向きの流れで、資料で確かめられる効果は冬の穏やかさと冬の雨である。夏の冷却は協会自身の説明であって、使った出典では示されておらず、夏の涼しさを主張するなら、その畑の観測など別の根拠が要る。どちらの主張も、事実ではなく確かめるべき主張として扱う。
【採点基準(6点)】
・湾流だけが原因ではないと述べ、偏西風を挙げている(2点)
・リーウィン海流の流れを秋と冬に置き、その効果を冬の穏やかさと雨としている(2点)
・冬の効果と夏の効果を分け、どちらの主張も確かめるべきものとして扱っている(2点)
海
- 海岸沿いの風と地球の自転が表層の水を沖へ動かす
- 冷たい深層水が上がってくる
- 暖流は代わりに主に冬をやわらげる
空気
- 空気が下から冷やされ、逆転層ができる
- マリン・レイヤーと移流霧ができる
- 午後に海風が冷たい空気を内陸へ運ぶ
ブドウ
- 午後の暑さがやわらぐ
- どこまで届くかは谷・丘・標高による
- 各畑の観測データで確かめる
よくある質問
湧昇とは何で、ワイン産地になぜ重要ですか。
湧昇とは、風と地球の自転で表層の水が海岸から離れるとき、冷たく栄養に富む深層の水が表面へ上がる現象です。西岸では海を冷たく保ち、NOAAは北部カリフォルニア海流で水深100〜125mから上がる約8℃の水を挙げています。冷たい海は上の空気を冷やして霧を生むことがあり、そのため沿岸のブドウ畑が内陸の畑より涼しくなることがあります。
メキシコ湾流がヨーロッパの冬を温暖にしているのですか。
それだけではありません。NOAAは、メキシコ湾流が熱帯の暖かい水を北西ヨーロッパへ運ぶと述べていますが、Seagerら(2002)は、答えが俗説ほど単純ではなく、海に蓄えられた熱を運ぶ偏西風が説明に欠かせないとしました。
寒流は海沿いのすべての畑を冷やしますか。
いいえ。冷却は、風、谷や低い丘が海の空気を通すかどうか、標高などの要因によります。Wines of Chileはコルチャグアの冷却を低い海岸の丘と結びつけ、Wines of Elginは海風と雲に加えて標高にも触れています。
情報源
- NOAA 国立気象局 JetStream — 海風
- NOAA 国立気象局 — 霧:移流霧
- NOAA JetStream — 海洋性の層(マリン・レイヤー)
- NOAA 機関リポジトリ — 沿岸湧昇の再検討:エクマン、バクン、米国西海岸の改良湧昇指数
- NOAA 漁業局 — 北部カリフォルニア海流調査域の海洋学
- Thiel ほか(2007)— チリ北部・中部のフンボルト海流系、Oceanography and Marine Biology: An Annual Review 45
- ベンゲラ海流条約 — ベンゲラ海流大海洋生態系
- FAO 水産 — 環境(ベンゲラ)
- Waite ほか(2007)— リーウィン海流とその渦:入門的概説、Deep-Sea Research Part II 54
- CSIRO — 西オーストラリアの海にとってのエルニーニョの良い知らせ(2015年)
- マーガレット・リバー・ワイン協会 — マーガレット・リバーの気候と土壌
- NOAA NESDIS — メキシコ湾流とは
- Seager ほか(2002)— 湾流がヨーロッパの温暖な冬の原因か、Quarterly Journal of the Royal Meteorological Society 128
- カナリア/イベリア海流の湧昇系(総説論文、ResearchGate の記録)
- CVRVV(ヴィーニョ・ヴェルデ地域ブドウ栽培委員会)— 産地:歴史
- Wines of Chile — ワイン産地
- Wines of Elgin — テロワール・トーク:エルギン・ヴァレー
- SAWIS — ワイン・オブ・オリジン制度で定める生産地域(2023年10月)
- INAO — AOC「ミュスカデ」の仕様書
- 連邦官報(TTB)— ウェスト・ソノマ・コースト AVA の設定
